少しずつ秋めいてきて、道端の金木犀からも甘い香りが漂う季節になってきた。この時期になると「金木犀の香りが」なんて切り口で会話が始まることもある。さすが、春の沈丁花(ジンチョウゲ)夏の梔子(クチナシ)と並ぶ、日本三大香木といったところ。
金木犀の香りは懐かしさや感傷的な記憶とともに語られることが多い気がするけれど、どうもしっくりこない。きっと、金木犀の香りと共に想起する、恋だの愛だの失敗だのといった経験が、僕にはないからだろう。もしくは僕の嗅覚が人より鈍いせいかもしれない。
それよりも、フジファブリックの『赤黄色の金木犀』をSpotifyで聞き返す今日この頃ですこんにちは。そういえば「擦り切れるほど聴く」ってもう死語だな。レコードもカセットテープも時代ととも姿を消し、言葉は変わり、記憶もどんどん曖昧になっていく。そんなもんだ。
先日なじみの知人たちと夕食に行く機会があって、素敵な和食をひと通り食べ終えた後、いざ二軒目ってことでぶらぶらと歩いていたところ、ふと懐かしい看板に出会った。20代の頃に何度か通っていた店だった。
導かれるように暖簾をくぐると、おぼろげながら大変だった当時の仕事や、仕事仲間の顔が思い浮かんでは消えていった。店は移転していて小綺麗になった内装に当時の面影はなかったけれど、どこか懐かしく嬉しい気持ちになって、普段あまり開くこともないSNSに思わず投稿していた。
人間の脳の記憶容量は17.5TBだと言われている。
結構な容量を積んでいるけれど、僕らが日々受け取る情報はもっと膨大だから、そのすべてを記憶しておくことは難しい。容量がカセットテープ→MD→CD→配信サービスみたいに進化することもないし、脳を擦り減らしながらどんどん記憶していくしかない。
同様に、脳に記憶している情報に自由気ままにアクセスするのも簡単じゃない。理研だってよくわかってないし、容量が128GBの自分ノートPCですら、どこに目当てのデータがあるかわからず、たまに迷子になるくらいだ。
そんな曖昧な記憶をたぐりよせて「あの仕事はよかったな」とお客様にふと思い出してもらえるのって、とても素敵なことだと思う。営業部隊がいない僕たちは、お客様からの紹介やリピートのご依頼が案件のほとんどを占めている。ありがたい話だ。
デザインの仕事をしていると、どうしても洗練されたWebサイトだったり、計算しつくされたロゴだったり、デザイン表現そのものに目が行きがちになる。逆にリニューアル案件などで「どうしてこうなった?」と思うようなデザインに出くわすと、あーだこーだと批判的になってしまう。これじゃダメだ。精神が消費者すぎる。
本当の意味で「良い仕事」は完成物だけじゃもちろん量れない。批判的な意見にも向き合って、誠意を持って提案して、相手と一緒になって進めていく。そのプロセスも含めて評価されるものだと思う。どれだけ素敵なデザインが仕上がったとしても、進行が雑だったり提案内容に不満を抱えたまま進んでしまうと、きっと「良い仕事だった」と記憶してもらえない。
匂いで記憶が蘇ることを「プルースト現象」という。マルセル・プルーストが書いた、紅茶とマドレーヌの香りからはじまる数千ページにもおよぶ壮大な回想物語『失われた時を求めて』がその由来だ。ささやかな香りから遥か昔の記憶が蘇るなんて、なんともおしゃれでロマンティックだ。
会社としてひとつひとつの案件に全員で真摯に取り組んでいきたい。納品後にまた違う課題が生まれたときに「そういえば良い仕事してくれる会社があったな」と思い出してもらえるように。
めざせ、おしゃれでロマンティックな「ロークルー現象」。